特段何かや誰かを愛するでもなく、特段誰かに愛されて引き上げてもらった経験もなく、何かに打ち込んで夢中になったこともない。 それを可哀想だという人もいるだろうけど、特段自分自身はなんとも思っていない。同情されるときの見下され感は不快だが、だからといってそれで人生が変わるほどのモチベーションにはならない。 人生に快がない。快がないなら、出来る限り不快にならない人生を送りたい。金が欲しい。人生のやっかいごとを背負わなくても済むように、金が欲しい。そのためには愛されなければならない、仕事に夢中にならなくてはならない。ああめんどうだ。めんどうが嫌だから金が欲しいのに、金を得るためには面倒をしなければならないというのは、神様の悪ふざけとしか思えない。ツイートする