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memoryに関するUnimmoのブックマーク (65)

  • 「スキンシップ」は心身の健康に好影響、 大事なのは相手ではなく回数 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

    年齢にかかわらず、人や動物とのスキンシップが不安やうつ、さらには痛みを軽減するのに役立つことが、行動科学専門オンラインジャーナル『ネイチャー・ヒューマン・ビヘイビアー』にこのほど掲載された研究論文で示された。 同研究は212の研究のメタ分析とレビューを行ったもの。筆頭著者で独ルール大学ボーフムのジュリアン・パックハイザーらは論文に「触覚は生活のさまざまな面において非常に重要なもの。新生児が最初に発達させる感覚であり、どの感覚よりも物理的・社会的環境に直に接するものだ。自身の触覚体験を補完するものとして、例えば、同意の上でのハグやキス、マッサージなどを通じて、私たちは周りの人から定期的に触覚体験を受けている」と記している。 「マッサージや母親が出産した赤ちゃんを抱くカンガルーケアといった最も一般的なスキンシップは生涯を通じて成長や発達を促したり、不安やストレスを和らげたりと、心身に幅広く好影

    「スキンシップ」は心身の健康に好影響、 大事なのは相手ではなく回数 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
  • 介護されたい高齢オタクを引っかける釣り針がすごい──『葬送のフリーレン』 - シロクマの屑籠

    これから書くことは『葬送のフリーレン』評ではない。なぜなら『葬送のフリーレン』という厚みのある作品の全体像をうんぬんするものでなく、作品のごく一部、作品に仕掛けられている数ある釣り針のひとつに注目し、「これは介護されたい高齢オタクが釣られるしかない、見事な釣り針ですなぁ」とテカテカする趣向のものだからだ。 釣り針というのは他でもない、『葬送のフリーレン』が、介護されたい高齢オタクが過去と現在に思いを馳せて願望するのに都合良い作品としてつくられているからだ。繰り返すが、『葬送のフリーレン』の魅力はそれだけじゃない。エルフと人間の寿命の差や時間感覚の差、勇者の遺したもの、人類の英知と技術革新etc...、そういったものを支える作者の洞察の泉はどうなっているんだろう? と惚れ惚れしてしまう。ただ歳月を感じさせる作品でなく、まして寿命チートを連想させる作品では決してなく、歳月の果てにしか宿らない旨

    介護されたい高齢オタクを引っかける釣り針がすごい──『葬送のフリーレン』 - シロクマの屑籠
    Unimmo
    Unimmo 2023/10/19
    そんな見方を思いついたこともなかった。望んだところで叶うはずもないから。ただわたしはこのアニメを記憶と生命と文化の関係性の物語として、ヒカルの碁の続編、井筒の続編、後世に伝わる作品と解釈している。
  • 中古品を買う習慣が抜けない

    貧しかった学生時代の名残だろうかと思いながら生活してきたが、30代になっても全然変わらない。それどころか使い古されたものの方が好きになってしまった。中古品には誰かの影が残っていて、耳を傾けるとものを言う。昔の何気ない日常を熱心に語る。そういうのを聞くのがすごく好きだ。 車も中古車だし、服もも半分は中古だ。椅子は中古のコンテッサ。パナの加湿器もモンベルのテントもクリステルの大鍋も中古。これは蓋が別売りなのだが、それも中古。鏡面仕上げの隅に磨き傷がある。その他に目立った傷はない。気軽にクリームクレンザーか何かでひと拭きしたところで、粒度が粗すぎたことに気づいたのだろう。 フェールセーフは機能したが、蓋を閉めるたびに自分のミスを突きつけられているようで我慢ならなかったのだ。ところが私は他人である。他人の些細なミスを引き受けるのは容易い。その蓋は「来そういうもの」なのだ。少し奮発してぴかぴかの

    中古品を買う習慣が抜けない
    Unimmo
    Unimmo 2022/12/11
    よい美学だと思います。
  • EK Janaki Ammal: The 'nomad' flower scientist India forgot

  • 鎌倉の海水浴場の名はそのままで 「鳩サブレー」会社が10年守った:朝日新聞デジタル

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    鎌倉の海水浴場の名はそのままで 「鳩サブレー」会社が10年守った:朝日新聞デジタル
  • 「大切な人の霊が見える」理由 3・11被災地タクシー運転手の不思議体験 | AERA dot. (アエラドット)

    ※写真はイメージです (GettyImages) 「幽霊」というとオカルト的なイメージもあり敬遠されがちな話題だが、亡くなった大切な人の存在を見たり感じたりする現象が起きるのには、ある理由が考えられるという。研究者や学生が収集した様々な事例を元に、その真相に迫った。 【図解】体外離脱体験や臨死体験は脳の「側頭頭頂接合部」の活動で引き起こされる *  *  * 亡くなった家族の気配を身近に感じる。その姿を見たり、声が聞こえたりすることもある。医学用語で「悲嘆幻覚」という。大切な人を亡くした時に現れる「悲嘆反応」の一つで、悲しみ、孤独感、怒り、不眠などとともに誰にでも起こり得る現象だ。 1970年代の論文によれば、配偶者を亡くした293人に聞き取り調査した結果、死別した配偶者が現れたり、気配を感じたりしたことがあると答えた人が約47%に上った。社会的孤立や精神疾患の有無とは関連がなかったという

    「大切な人の霊が見える」理由 3・11被災地タクシー運転手の不思議体験 | AERA dot. (アエラドット)
  • 中国で残虐行為に手を染めた元兵士たちの晩年 - 読む・考える・書く

    前回記事で紹介したような、中国戦線で様々な残虐行為に手を染めてきた兵士たちは、その後どんな人生を送ったのだろうか。 敗戦後には連合軍によるBC級戦犯裁判が行われたが、中国での戦争犯罪に関する裁判は極めて限定的なものでしかなかった。いかに被害が甚大であっても、個々の事件について犯人を個人として特定できる証拠がほとんど残されていなかったためだ。中国国民政府による裁判で訴追された日人戦犯はわずか883人、うち有罪判決を受けた者は504人しかいない。しかも服役者のすべてが、国共内戦による混乱の中、1949年2月には日に送還されている。[1] 南京大虐殺に関してさえ、有罪(死刑)判決を受けた者は、東京裁判で裁かれた松井石根(中支那方面軍司令官)、南京軍事法廷で裁かれた谷寿夫(第六師団長)、向井敏明、野田毅、田中軍吉の5名しかいない。向井と野田は「百人斬り競争」、田中は「三百人斬り」で新聞報道され

    中国で残虐行為に手を染めた元兵士たちの晩年 - 読む・考える・書く
  • 「あんた、年とらんなあ」 亡き次男想う森に新緑の季節:朝日新聞デジタル

    日を浴び、光る緑のなかで紅に色づくノムラモミジが映える。佐賀県唐津市の作礼山(887メートル)の中腹にある「環境芸術の森」が新緑のシーズンを迎えた。 造園業を営んだ鶴田正明さん(85)が竹林を伐採し、この地にモミジやイチョウ、ケヤキなど約1万を植え、約10ヘクタールの広葉樹の森に育った。 きっかけは次男の死だった。高校球児だった次男を原因不明の病で1980年暮れに失った。まもなくこの山に入り、植樹を始めた。突然の別れに無常を感じ、べ物と環境について考えた。人に必要なのはきれいな空気、それを作り出すのは森だと。そんな話を訪れる客に話した。 いま施設で療養中の正明さんの思いを継ぎ、森は三男の健二さん(55)が管理する。造園会社を2年前に辞め、毎朝、草を抜き、落ち葉をひろう。 最近、気づいたことがある…

    「あんた、年とらんなあ」 亡き次男想う森に新緑の季節:朝日新聞デジタル
  • あの人が生きてたら… もう一つの未来を描いた150枚:朝日新聞デジタル

    あの人が生きていれば、いまどんな姿をしているだろう。親しい人を亡くした人たちのそんな思いに、水彩画でこたえている画家がいる。「一緒に入学式を迎えていたら」「結婚していたら」……。この3年で描いた「記念の絵」は150組を超える。 名古屋市中村区の大村順さん(35)は元似顔絵師。今は「絆画(きずなえ)作家」を名乗る。故人と遺族の絆を描く、という意味をその肩書に込める。 依頼を受けると、必ず依頼者の元を訪ねる。生前の様子を2~5時間かけて聞き、希望する構図のA3判の作品に仕上げる。納めるまで1カ月ほどかかる。 愛知県内の高校を卒業後、イベント会社に所属しながら大型商業施設や結婚式場で似顔絵師として活動していた。 道を変えるきっかけは、中学生の頃からの親友が27歳で急死したこと。5年後、その母親が「一緒に記念撮影ぐらいしておけばよかった」と悔いていると知った。「それならば」と描いたのが、母親ら6人

    あの人が生きてたら… もう一つの未来を描いた150枚:朝日新聞デジタル
  • 歴史を忘れ去り、言葉を「凶器」として使う時代をどう生きるか(與那覇 潤) @gendai_biz

    2011年の著書『中国化する日』で注目を浴び、「気鋭の若手論客」として論壇に迎えられた與那覇潤氏。しかし氏は2014年から激しいうつ状態を経験し、2017年には大学の教職を辞した。 今回、沈黙を破って著書を刊行した與那覇氏の、ロングインタビューが実現。緩やかに壊死してゆく日の「歴史」と「知性」を、いまどう見ているのか――。 (聞き手/現代ビジネス編集部、写真/岡田康且) 歴史が消えて「いま」だけになる ――與那覇さんは2015年の春からご病気(双極性障害にともなううつ状態)の治療に専念され、約3年間の療養を経て、今年4月に新著『知性は死なない 平成のをこえて』を出版。また5月には、2013年の著作である『日人はなぜ存在するか』を文庫化され、新たな増補あとがきをよせています。 しかし大学のお仕事に復帰されるのかと思いきや、「学者廃業」を宣言されたので、とても驚きました。先日ウェブで公

    歴史を忘れ去り、言葉を「凶器」として使う時代をどう生きるか(與那覇 潤) @gendai_biz
  • すすけたガラケー、復活させたら あの日の声が聞こえた:朝日新聞デジタル

    イベントを始める直前のことだった。家電量販店の入り口で、責任者の高橋竜矢さん(31)は古い携帯電話をカバンから取り出した。高校生のころに使い、バッテリーの切れた折りたたみ式の黒い機種。わけあって、少しすすけていた。 充電ができなくなった来客の携帯を復活させ、保存していた写真などをプリントしてあげる企画で、スタッフに手順を教えていた。自分でやってみせながら、ひそかに期することがあった。「写真でもメールでもいい。何か残っていれば」 昨秋の夜。愛知県半田市にある自宅が突然、炎に包まれた。煙に巻かれ、雨どいを伝って2階から必死に逃げた。同居していた両親が搬送先で亡くなったと告げられたのは明け方。夢なのか現実なのか。「はい」としか答えられなかった。 何とか助け出せなかったのかと自分を責め、もっと旅行に連れて行けばよかったと過去を悔やんだ。 両親の新婚旅行、七五三、弁…

    すすけたガラケー、復活させたら あの日の声が聞こえた:朝日新聞デジタル
  • サラエボ旧市街を歩く、バルカン半島4カ国ひとり旅#02 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

  • 思い出す という幸せ

    彼女は居ないし収入も低く、自由に使える時間もそれほど多くはない。毎日疲れ果てて家に帰り、健康に悪そうなべ物を胃に放り投げたら、冷えが厳しい浴室で水圧の弱い湯を浴びる。薄暗い静かな部屋で、安酒を呷りながら明るく賑やかなテレビ画面を眺めていると、いつの間にか眠りに落ちている。そんな毎日だ。 でも俺には、日曜の夜だけのささやかな楽しみがある。「思い出す」ことだ。祖母の家でべた大きなスイカ。いとこと夢中になって遊んだ競馬のメダルゲーム。修学旅行友達と乗った保津川のライン下り。塾で目が合った他校の女の子。貯めたバイト代を握りしめて行った地元のバイク屋。職場で優しくしてくれた、親父と同い年の上司。思い出せる限り詳細に、記憶の縁を辿っていく。綺麗な思い出は、いつだって俺に優しい。 どれもこれも、今となっては戻ることの無い遠い過去だ。しかし、だからこそ貴重なものだ。物の当の価値に気付くのは、いつだ

    思い出す という幸せ
    Unimmo
    Unimmo 2020/03/02
    古い歌だけど Enya "On My Way Home" っていうのがある。知ってるかな。知ってくれてるといいな。
  • 【今週はこれを読め! SF編】消えてしまう過去、儚い現在、記憶のなかの世界 - 牧眞司|WEB本の雑誌

    『プラネタリウムの外側』は連作集。有機素子コンピュータで会話プログラム(チューリングテストをクリアするレベル)を開発する南雲助教と、彼の研究室に関わるひとたちの物語だ。ITと現実感覚を結びつけたSFは数あるが、この作品はガジェット/アイデアばかりを前景化するのではなく、わたしたちが暮らしている日常、人間関係のなかで出逢う感情や感覚の地平で語られている。そこがとても新鮮だ。 生活のなかでふと覚える些細な違和感。たとえば、いつのように電灯をつけようとしたら、壁スイッチの位置が思った場所と違っていたとか、毎日通っている町並の一角が空き地がなっていて、前にどんな建物があったか思い出そうとしても思い出せないとか。そんな経験はだれでもあるだろう。たいていは気の迷いだとしてやりすごしてしまうのだけれど、もしかすると「現実は自分が思ったとおりではない」のかもしれない。 その感覚をたくみに小説化したのがフィ

    【今週はこれを読め! SF編】消えてしまう過去、儚い現在、記憶のなかの世界 - 牧眞司|WEB本の雑誌
  • 「餓島」の岩陰、眠る日本兵 遺骨収容、74年経てなお:朝日新聞デジタル

    旧日軍将兵の遺骨約7千柱が、いまも取り残されているソロモン諸島の「ガダルカナル島」。真珠湾攻撃から75年を前に南洋を取材した9月初旬、収容活動に取り組むグループと出会った。密林の急斜面で、岩陰で。料も援軍もない強行軍に力尽きたとみられる遺骨が次々と見つかった。 背丈は2メートルを超しているだろうか。カンナに似た花が茂る密林の急斜面。そのくぼ地で、遺骨は見つかった。 大腿(だいたい)、腰、脊椎(せきつい)……。粘土質の地中約30センチから、土の色を帯びた骨が次々と出てきた。「散乱していないから、埋葬されたのだと思います」。遺骨を収容しながら、作業療法士の山登(やまと)孝則さん(28)は語った。 山登さんは現地の青年海外協力隊員。ガダルカナル島で1942年8月から半年間ほど続いた攻防の末に撤退した旧日軍の行路沿いで、近年続いている遺骨収容活動にボランティアで加わった。この活動に取り組むの

    「餓島」の岩陰、眠る日本兵 遺骨収容、74年経てなお:朝日新聞デジタル
  • 民族紛争で敵になった3つの時代の男女描く、カンヌ受賞作『灼熱』 | CINRA

    映画『灼熱』が11月から東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開される。 『第68回カンヌ国際映画祭』で「ある視点」部門審査員賞を受賞した同作は、クロアチアのユーゴスラビアからの分離独立を巡って1991年に起きたクロアチア人とセルビア人との民族対立を背景にした作品。紛争によって敵同士となったセルビア人の女性とクロアチア人の青年の関係を軸に、紛争が勃発した1991年、終結後の2001年、平和が戻った2011年の10年ごとに展開される3つのラブストーリーが描かれる。 同作では、紛敵同士になり悲運を辿る1991年のイェレナとイヴァン、互いの民族を憎みながらも激しく惹かれ合う2001年のナタシャとアンテ、過去の憎しみを乗り越えようとする2011年のマリヤとルカを描く異なる3つの物語を、それぞれ同じ俳優たちが演じる。主演のティハナ・ラゾヴィッチは、過去にダニエル・クレイグやメラニー

    民族紛争で敵になった3つの時代の男女描く、カンヌ受賞作『灼熱』 | CINRA
  • 【Ingress×ポケモンGO】宮城県石巻市にある実物のないポケストップは「記憶のポータル」として津波から生き残ったデータで申請された特別なポータルだった

    でざを @_desire3_ 石巻にある実物の無いポケストップは「記憶のポータル」と言って #Ingress の東北復興支援イベント #initio で、現地の方々から 津波から生き残った貴重なデータを譲り受け申請された特例的なポータル しっかりポケモンGOの中でも生き続けてるんだね #ポケモンGO 2016-07-30 21:02:05

    【Ingress×ポケモンGO】宮城県石巻市にある実物のないポケストップは「記憶のポータル」として津波から生き残ったデータで申請された特別なポータルだった
  • 連続テロから5年 復讐という選択肢を拒むノルウェー 遺族や生存者が当時の悲惨なSMSを公開

    <2011年にノルウェーで一人の男が77人の命を奪った連続テロ事件から間もなく丸5年。禁錮21年と短く感じられる判決に豪華な独房などの寛容さは何を意味するのか。テロ被害に遭った他の国からも視察が訪れるというノルウェー流テロとの付き合い方> (銃乱射事件が起きた島には犠牲者の名前が綴られたモニュメントがある) 「あの日」から、5年が経った。 ノルウェーの人々の心をざわつかせる「7月22日」が、またやってくる。2011年7月22日、アンネシュ・ブレイビク受刑者(以下ブレイビク)は、オスロ中心地にある政府庁舎を爆破し8人の命を奪った後、オスロから離れたウトヤ島で労働党の青年部の関係者69人を銃で殺害した。単独犯行によって殺害された合計77人のうち、ウトヤ島では政治活動に積極的な20歳以下の若者が多くを占めた。 犯行の動機は、ノルウェーの多文化主義やイスラム系移民から国を守るためだったとし、「残酷

    連続テロから5年 復讐という選択肢を拒むノルウェー 遺族や生存者が当時の悲惨なSMSを公開
  • 安否不明の大学生を捜索、父親「早く見つけたい」 熊本:朝日新聞デジタル

    2度目の震度7を記録した熊地震の震から16日で3カ月となった。住民らは各地で犠牲者を悼み、安否不明のままの大学生の両親らは息子の姿を捜した。熊県内ではこれまでに仮設住宅約2千棟が完成し、被災者は徐々に避難所から生活の場を移し始めている。 南阿蘇村の倒壊したアパート前に16日早朝、東海大の学生3人らが訪れた。阿蘇キャンパスの農学部2年だった大野睦(りく)さん(当時20)が亡くなった現場に設けられた献花台そばに、花束と缶ビールをそっと置き、手を合わせた。 阿蘇キャンパスは閉鎖されており、学生たちは熊市東区の熊キャンパスに通う。この日、熊キャンパスでは、阿蘇から移ってきた学生が、すでに入居しているアパートなどを「みなし仮設住宅」とする手続きのための窓口が開設された。 南阿蘇村に隣接する大津(おおづ)町ではこの日、安否不明の熊学園大4年、大和晃(ひかる)さん(22)の父、卓也さん(5

    安否不明の大学生を捜索、父親「早く見つけたい」 熊本:朝日新聞デジタル
  • アウシュビッツ博物館、ユダヤ人犠牲者の遺品回収 数十年間不明

    アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所の火葬場近くで1967年に発見された懐中時計(2016年6月7日公開)。(c)AFP/Museum Auschwitz/Pawel Sawicki 【6月8日 AFP】冷戦時のポーランド政権によって強制収容所跡から回収され、長い間行方が分からなくなっていたユダヤ人犠牲者の遺品がこのほど発見され、ポーランド南部のオシフィエンチム(Oswiecim)のアウシュビッツ博物館(Auschwitz Museum)に返還された。 博物館の声明によると、遺品の大半はナチス・ドイツ(Nazis)強制収容所のガス室へと送られたユダヤ人たちの最後の所有物であったとされる。遺品には、温度計、空の薬瓶、の切れ端、宝飾品、器類、時計、ブラシ、喫煙用パイプ、ライターといったものがある。 これらの遺品は、1967年にアウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz Birkenau

    アウシュビッツ博物館、ユダヤ人犠牲者の遺品回収 数十年間不明