9月14日、15日、16日と谷地どんが祭りでした。 谷地どんが祭りといえば、『林家の舞楽』・『谷地奴』・『囃子屋台』。 谷地奴です。大名行列が奴の始まりみたいです。 谷地奴の一番の見どころは、谷地八幡宮の鳥居を通る時に、 長さ4.5m、重さ約10キロの大鳥毛をしならせて、腰を落としたままくぐり抜けることです。 ↑ 大鳥毛 無事に通ることができると、拍手喝采です。 囃子屋台は、子供たちが太鼓と笛でお囃子をしながら、町中を回ります。 屋台には、踊り手さんも乗っていて、踊りを踊ります。 朝8時~夜9時ごろまで、3日間ずっとです。 賑やかですよ(^^) 子供からお年寄りまで、みんなが参加しているお祭りです。 今年は実家の地区が、21年に一度の大当番だったので、大変そうでした。 私のいとこは、会長を務め、頑張っていました。 お祭りのために、2週間休みをもらったみたいです。 休みをくれた会社もすごいで
7月19日の弊ブログでも紹介させていただいた、 山形県西村山郡河北町谷地所在の谷地八幡宮の例大祭 谷地どんがまつり。 14日(土)~16日(月・祝)の三日開催ですが、 いよいよ明日、初日を迎えます! 本日祭礼の準備で忙しい中、荒北若会長 M様が 弊社特製熊手の設置作業を写真に撮って送ってくださいました。 お心遣いありがとうございます。 明日14日は御祓い式。 15・16両日は荷台の囃子屋台で囃子の音色を奏でながら、 祭りで賑わう町なかを巡るそうです。 このような熊手の飾り方を見るのは私は初めてです。 どのような反応があるのか楽しみです。 祭礼関係者の皆様おめでとうございます。 谷地どんがまつりが安全無事に開催されることを祈念いたします。 9月14日の御祓い式の様子を、荒北若会長様が写真で送ってくださいました。
昨年の尾花沢花笠まつりの時、たまたま会った知り合いの神主さんに紹介して頂いた林重陽さん その時は、林家舞楽のことも、谷地のどんがまつりもどんがらまつりと言ってたくらい無知な状態でした なので慈恩寺であった東儀秀樹さんのコンサートの時も「東儀家、林家うんぬん」というくだりの話の時も、林家=林さんとは繋がらずにいたのですが、次第に林家=林さんというのが繋がった時には震えてしまったくらいです 実は昨年(16日)も訪れたのですが、あまりの暑さにまいってしまい途中で断念してしまいました それから数日後に放送されたテレビ番組を見て、どんがまつりの凄さと、谷地男の心意気を知りました そして遂に今日この日を迎えたわけです 境内にある石舞台
林家舞楽は、今から1153年前、天台宗の祖最澄の弟子の円仁(慈覚大師)とともに山形の山寺に来たため、その後中央でいろんなアレンジを加えられた舞楽とは違い、元来日本に伝わったままの形で残っている貴重な舞楽で、国指定重要無形民俗文化財になっています その舞を現在身近で見ることができるというのはなんとも贅沢な話です さて たまたま幸運にも多忙の林さんとお会いすることができ、ずうずうしくもまたお祭りについて詳しくお聞きすることができました 昔、谷地は紅花の商いで財力をなしたため、それを恐れた幕府が、谷地の領土を、幕府・戸沢・秋元の三つの領に分けたそうです その名残で、谷地のお祭りは年毎にその三つの地区が持ち回りで担当することになり、今年は秋元領だった南部地区が担当だということでした ちなみに秋元領とは上山領のことだと聞いて、驚きとなんとも不思議な縁を感じました また祭り期間中、囃子屋台巡演が同時に
谷地のどんがまつりを訪問。 国の重要無形民俗文化財に指定されている林家舞楽を以前から見てみたいと思っていた。 なにせ日本四大舞楽の一つなんですよ。 奈良の春日大社、大阪の四天王寺、宮中舞楽、そして山形の林家舞楽。 殊に林家舞楽は貞観2年(860年)と早くから地方に下ったため、平安中期以降の楽制改革の影響が少なく、最も古式ゆかしくシルクロードの面影を伝えているそうだ。 「三台」は則天武后の作と伝えられているが、林家舞楽にしか伝えられていないそうだ。 ここ山形県にこんな素晴らしい日本の宝が存在するのは喜ばしい限りである。 「陵王」は今から1500年前の中国は北斎王朝の時代に活躍した王様で、顔が女性のように美しいので恐ろしい面をつけて士気を高めて戦い、大勝利した時の祝舞だという。 衣装は紅花染で誠に美しい。 ここ河北町谷地には紅花資料館もあって、江戸時代には紅花商人が隆盛を極めたところです。 そ
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