IBP(Indian buffet process)を使って潜在特徴モデルの実装を行います。 モチベーション IBPを使って潜在特徴モデルの実装を行うことが目的です。まずここでいう潜在特徴モデル(線形因子モデル?)の説明をするためによくあるレコメンデーションの例を使います。 まず人を縦、映画の種類を横とする行列(X)があるとします。(成分は(i,j)はiによるjの評価だとする)このとき下のようにX=UVとうまく分解することによって潜在特徴を知ることができます。 例えば潜在特徴としてはアドベンチャー成分、ミステリー成分、ロマンス成分とかが考えられます。(あくまでイメージです)この時、Uは人のそれらの成分に対する好感度、Vはそれぞれの映画がどのような成分を持っているかを表します。(実際のレコメンドシステムでは欠損値の予測に使います) 他にも自然言語処理のシチュエーションだったらドキュメントの種
Rでテキストマイニングするということ でもみんなPythonでやってる気がする 実際のところ、自分でコードを書きながら自然言語処理の真似事をするならPythonのほうが便利なような気もします。テキストを形態素解析する場面だけ見ても、PythonにはSudachiPyやjanomeといった選択肢がある一方で、RにはRコンソールからのみで導入が完了する形態素解析の手段が(少なくともCRANには)ありません。 自然言語処理をやる言語としてPythonのほうがメジャーなことにはほかにもいくつかの理由というか経緯があるのでしょうが、Pythonを採用したほうがよいひとつのモチベーションとしては、テキストマイニングして得た特徴量を投入してディープラーニングをしたい場合は事実上Pythonを選択するしかないというのもある気がします。一応、{keras}や{rTorch}というのもありますが、このあたりの
こんな話を聞いた。 テスラに犬モードが搭載される。 私の興奮が分かるだろうか? テスラは車の会社だ。頭のイカれた(褒めている)男が作った頭のおかしい車だ。電気とガソリンのハイブリッドで、AIが搭載されていて、モーターはシーシーと鳴る。なぜか生物兵器への備えがあり、発動すると、車内には陽圧が掛かって、一切の外気を遮断する。炭疽菌と天然痘の混合兵器で冒された空気を切り裂いて進む。操作は全部タブレットで、スペースXと連携して月に行く。こんなところだろう。 はっきり言って、私は車にはさして興味がない。『渚にて』というSF小説を読んですぐの感想は「死ぬ間になっても、人間は自動車レースに熱中する」だった。今では、この感想は間違っていると知っている。人は死ぬ間際になると、せめて自動車レースで死にたがる。というのも、キリスト教的な世界においては、自動車レースで死ぬことは合法的な自殺手段だからだ。自動車レー
「君は震えているな」 ――ハサン・ブラーシム『死体展覧会』 暴力と殺戮と幻視 イラク生まれの作家ハサン・ブラーシムは、混濁したイラクの日常を煮詰めて、澄み切った暴力の結晶として描く。暴力の結晶は赤黒い光を放って乱反射して、血と脳髄とナイフが飛び交う幻想を生み出す。 本書の暴力は、握手していた自分の手がいきなり切り落とされるような、唐突に殺戮にぶち当たる種類の恐ろしさだ。歩いていたら銃殺されたり、食事をしていたら自爆用の爆弾を体にくくりつけられたり、登場人物たちは日常を生きているだけで暴力と殺戮にさらされる。 死体展覧会 (エクス・リブリス) 作者: ハサン・ブラーシム,藤井光 出版社/メーカー: 白水社 発売日: 2017/10/24 メディア: 単行本 この商品を含むブログ (4件) を見る ブラーシムの描く暴力は、前後の脈絡がない。世の中の暴力はたいてい政治的な背景、正義や建前があるも
私たちの編みだした機械は、私たちの身体に似て、そして私たちの憧憬に似て、ゆっくりと火照りの冷めていく心臓を持っている。——W.G.ゼーバルト『土星の環 イギリス行脚』 崩落する記憶 「イギリス行脚」といいながら、実のところ彼はどこを旅していたのだろうか? 本書においては、すべての境界線は水ににじんだインクのようにぼやけている。「半自伝的な作品」という位置づけのとおり、語り手の「私」はドイツ生まれの作家だが、その姿はピントの合っていない肖像のようでつかみどころがない。 作家は、灰色の海岸線とモノクロームの荒地をゆるり歩きながら移動する。その足取りはイギリスの荒野(ヒース)から、いつのまにかドイツの荒野(ハイデ)へと地すべりしていく。 土星の環―イギリス行脚 (ゼーバルト・コレクション) 作者:W.G.ゼーバルト発売日: 2007/08/01メディア: 単行本 「奇跡」とうたわれたイギリスのサ
まだバーチャルユーチューバー1見てるポタクおる?w 魔剤?w 今すぐやめろ。今すぐにだ。お前のために言ってるんじゃない。そいつのために言ってるんだ。 これは何 この記事で、私はバーチャルユーチューバーの不完全で淡白な小史を書く。その後、この小史の中で何が起こったかを書き、そこから何がわかるのか、なぜこのコンテンツが好ましくないかを説明する。そしてとるべきだと私が思っている方向性について話す。 はじめに きっかけは何だったんだろう? バーチャルユーチューバー(以下、VTuber)を見ているオタク諸氏、見るようになったきっかけを覚えているか? それは、みんなが見ていたからかもしれない。なんとなくTwitterで盛り上がっていたからかもしれない。絵の練習がてらかもしれない。 私がVTuberを見るようになったのは、今はやめてしまったTwitterで、2017年の冬、フォロワーがキズナアイの動画を
夫のことが好きだ。困ってる人に貸したい。 もし夫が万が一浮気をしたとしても、浮気相手を憎めない自信がある。絶対渡さないとは思うが、もういっそ3人で暮らしましょうか?くらいは言っちゃうかもしれない。 夫は私にはもったいない。それは別に、私が私をゴミみたいに思ってるからとかじゃない。っていうか、夫にもったいなくない人物に私は会ったことない。 お父さんのことより夫が好きだ。お母さんより好きかもしれない。生まれ変わったら何になりたい?と聞かれたら、夫みたいな人間になりたい。生まれ変わったらどころか、将来は夫みたいな人間になりたい。私、今36歳だけど。 ・・・・・・・ 夫と出会ったのは18歳の時だ。私は田舎から上京してきた演劇の短大生で、夫は当時その街で100円均一を営んでいる大人だった。9歳離れている。演劇にとって100円均一というのはなくてはならぬ物で、小道具の買い出しにみんな通い、そしてみんな
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く