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明智秀満「湖水渡り」伝説の元ネタ?琵琶湖で水上戦を繰り広げた戦国時代の古文書が公開へ : Japaaan
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明智秀満「湖水渡り」伝説の元ネタ?琵琶湖で水上戦を繰り広げた戦国時代の古文書が公開へ : Japaaan
明智光秀(あけち みつひで)の娘婿となり、その片腕として文武両道の活躍を見せた明智秀満(あけち ひ... 明智光秀(あけち みつひで)の娘婿となり、その片腕として文武両道の活躍を見せた明智秀満(あけち ひでみつ)。一説には、主君・織田信長に対して謀叛(クーデター)すべきか悩んでいた光秀の背中を押し… 古文書は景隆の七男・山岡景以(やまおか かげもち)が自家の由緒をまとめた「山岡景以舎系図(~いえのけいず)」で、天正十九1591年に石山寺(いしやまでら。現:滋賀県大津市)に奉納されたものです。 弥平次(やへいじ)と通称で記された秀満は、琵琶湖北岸の安土城(現:滋賀県近江八幡市)へ向かう途上、山岡景隆を仲間に勧誘するも、亡き信長へ対する忠義ゆえに拒絶されてしまいます。 そればかりか瀬田の橋を焼き落として進路を妨害されたため、水路を行こうと船を乗り出したところ、琵琶湖上で戦闘に発展。少なからぬ損害を出して秀満らはやむなく転進、その後の行動に遅れをとってしまったそうです。