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訃報とwebに関するbridgestoneのブックマーク (2)

  • ヤマグチノボルくん死去 : 小心者の杖日記

    ヤマグチノボルくんが4月4日に死去したことが「【訃報】ヤマグチノボル先生」で公表されました。彼と僕は1972年生まれの同い年で、5ヶ月だけ彼が先でした。 2011年2月の癌発見から約2年。告別式で彼の顔を見て「おつかれさま」としか言えませんでした。自分がノボルくんの立場だったら……と考えても想像がつきません。ただ、奥さんを遺してさぞや心残りだっただろう、と苦しくなるのみです。 ノボルくんとの出会いが前世紀のことだったと考えると、軽く気が遠くなります。告別式の後、初期テキストサイト界隈のみんなと歩きながら、1999年の暮れ、12月28日に彼の家で朝まで鍋パーティーをしたことについて話しました。あるいは、1999年3月21日に開催された「ときめき☆トゥナイト」のことを。あのイベントは、テキストサイトによるDJイベントの先駆けでした。 そう、「ヤマグチノボル」といえば世間では「ゼロの使い魔」で知

    bridgestone
    bridgestone 2013/04/12
    "そう、「ヤマグチノボル」といえば世間では「ゼロの使い魔」で知られる作家でしょうが、僕にとっては初期テキストサイト界隈の仲間でした。"
  • 「熱く漫画語る生粋のぼっけもん」――いわしげ孝逝去に追悼相次ぐ | nelja

    「ぼっけもん」「ジパング少年」「花マル伝」などで知られるマンガ家のいわしげ孝氏が3月6日に逝去した。享年58歳。休載に入っていた「上京花日」は未完となった。 いわしげ氏の逝去については、マンガ家で作家のさかもと未明氏が15日付けのブログにて触れていたが、22日夜頃から各種メディアでも報じられ、多くの人の知るところとなった。23日にはTwitterでも1700件以上の言及があり、多くの人がその死を悼んだ。 マンガ家の一色登希彦氏は「自分が読者として志望者として「青年誌の週刊連載漫画」に熱狂していた時期に指折りで熱量の高かったお一人」とコメント。また、ゲッサン編集部の公式Twitterでは「熱く漫画を語り、心底楽しそうにお酒を呑む生粋のぼっけもん(編集部注:鹿児島の方言で「大胆な人」といった意味)でした」とその人柄を振り返っている。 記事:ネルヤ編集部

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