松村博文. 北部九州,山口地方弥生人の歯冠形質と現代日本人成立への関与. 先史学と関連科学.北海道図書企画, 札幌, 211-221, 1993 百々幸雄, 石田 肇, 松村博文. 中沢浜貝塚検出人骨の解剖学的所見. 陸前高田市史 第2巻 地質,考古編. 陸前高田市史編集委員会編, 陸前高田, 591-610, 1994 Matsumura H. A Microevolutional History of Japanese people as viewed from dental morphology. National Science Museum, Monograph, Tokyo, No. 9(1冊完結), 134p, 1995. Matsumura H, Shigehara N, Kanazawa E. Dental characteristics of Japanese popu
日本人の成り立ちで定説になっているのが、弥生時代に大陸から渡来した人と縄文人との混血が、北部九州から東へと移っていき、現在の日本人につながっているとする「二重構造説」だ。 現代の日本人には縄文系のハプログループが20~30%あるという。ところが、同遺跡の人骨のミトコンドリアDNAの解析では、縄文人が持っていたハプログループはわずか3%にすぎず、弥生時代も後期なのに縄文人と渡来系の弥生人の混血が進んでいなかったようにみえる。 またハプログループが多様だということから集団の特徴も明確になった。長い時代にわたって同じ場所に住んできた「ムラ」では、特定のハプログループが突出する傾向があるとされる。母系がつながっている人たちがずっと住み続けた結果だ。これに対し、母系がバラバラの同遺跡の人たちは、血縁関係のない人たちが住み合わせる「都市」的な人模様だったと考えられる。 同遺跡はこれまでも、出土した遺物
After the major Out-of-Africa dispersal of Homo sapiens around 60,000 years ago (60 kya), modern humans rapidly expanded across the vast landscapes of Eurasia1. Both fossil and ancient genomic evidence suggest that groups ancestrally related to present-day East Asians were present in eastern China by as early as 40 kya2. Two major routes for these dispersals have been proposed, either from the nor
分子生物学者は、日本人のY染色体ハプログループの中で最も繁栄した枝がD1a2a1a2b1a1a(D-CTS8093)であることを解き明かした。CTS8093に特徴づけられるこの変異を持つ男性は日本列島に夥しい子孫を残し、現在の日本人男性の約37%に及ぶ。この枝は古代に形成されたもので、これが途絶えることなく、今なお優勢を誇っていることは、この男性群が支配者層として幾多の世代に渡って日本列島に君臨し続けたことを示唆している。さらにこの枝が、日本全国で均一に最も多い人口であることはこの人物たちの統治が、穏便で安定的に日本列島各地まで広がったであろうことを示している。日本には王朝交替がなかったこと、あるいはあったとしても同じD系統内での継承が行われたことが類推される。日本の支配者層が太古の系統に属し、男系男子によって連綿と継承されてきたことは、実に驚くべきことである。このようなことは、世界的に見
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く