正確には増えてきたと言うべきか Twitterやブコメなどで,叱責・説教するといった意味の「詰める」をしばしば目にするようになった 私はこの表現に馴染みがない 問い詰めるや追い詰めるの「詰める」には似たような雰囲気を感じるものの,単体の「詰める」はあくまで箱に詰める,差を詰める,チェックメイトなどのニュートラルなイメージであり, 「上司に激詰めされる」から漂う執拗にこちらの非をあげつらうような負のオーラは感じられない 予想だが,この変化は詰める(つめる)と詰る(なじる)の混同から生じたものではないだろうか まず,「なじる」という言葉,あるいは「詰る」をそう読むと知らない人が「詰る」を(つめ・る)と誤読する その人は「つめる」にはこんな(「なじる」的な)使い方もあるのだと認識する そして今度はその人が「なじる」的な意味合いで「詰める」を使う こうなるともう「つめる」としか読めないので,より多
