日本の城はかつて存在した数をすべて合わせると、数万になると言われる。そのうち歴史的な天守閣が現存する城は12城しかない。戦禍や失火などで失われた後に再建されず、現在は遺構が「夢の跡」を忍ばせるだけという城がほとんどだ。城の数だけ滅亡のドラマがあったはずだが、中でも最もドラマチックで謎に満ちた最期を迎えたのが、白川郷(岐阜県白川村)を支配した戦国武将内ケ嶋氏の居城、帰雲(かえりくも)城だ。1586(天正13)年11月29日、保木脇(ほきわき)にあったこの城は、翌日の祝宴の準備に追われていた。内ケ嶋氏は本能寺の変の後、反秀吉勢力に加わったため、戦後は領地没収などの厳しい仕置きを覚悟していた。それが予想外に軽い処分で済んだので城主の無事帰還とあわせて祝おうと、一族郎党が集まったのだ。ところがこの夜、天正大地震が襲った。この地震が引き起こした山崩れのため、帰雲城と内ケ嶋氏は城主以下、城下町もろとも