広義の「燕」は、現在の北京市を中心とする幽・順・檀・儒・薊・瀛・莫・涿・新・嬀・武の11州、また、「雲」は現在の大同市を中心とする雲・応・寰・朔・蔚の5州であり[2]、それを合わせた「燕雲(幽雲)」は万里の長城に近接する漢人の定住農耕地帯にあたり、都市をともなう地域である[3]。「燕雲十六州」の名が使われ始めたのは北宋の徽宗(在位:1100年 - 1126年)の時期からであり[1][4]、それまでは「燕代」「幽薊」「幽燕」など様々に称されていた[1][4]。また、太行山東南の7州を「山前七州」、西北の9州を「山後九州」と呼ぶことがあった[1]。なお、十六州の東側に位置し、渤海湾に臨む平州・営州・灤州は十六州獲得以前から遼の領土となっていたが、宋の人びとが考える「燕雲」のなかには、これらの地域も含まれていた[1]。 燕雲十六州の成立[編集] 933年、沙陀族(チュルク系)の建てた後唐の明宗(