札幌市の中心部、大通と札幌駅前通りの交差点からちょっと西側。仕事の合間に大通公園の噴水近くのベンチで休んでいたとき、ふと南側を見上げると。
![まるで天空の渡り廊下! 大通公園から南のビルを見上げると…<なんだこれ?珍札景②>:北海道新聞デジタル](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/49dd661f2c4c89e51940690058d1e57fd15cb226/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fstatic.hokkaido-np.co.jp%2Fimage%2Farticle%2Fsize1%2F9%2F4%2Ff%2F3%2F94f36b0170a69b0c953afcd4a7f545db_1.jpg%3F20240406134222)
札幌市の中心部、大通と札幌駅前通りの交差点からちょっと西側。仕事の合間に大通公園の噴水近くのベンチで休んでいたとき、ふと南側を見上げると。
北見市常呂町で開催された全農日本カーリング選手権大会2023で、ロコ・ソラーレは決勝でSC軽井沢クラブに勝利し、チーム史上初となる連覇を達成した。 氷上で勝利のハグを交わす藤澤五月らを横目に眺めながら、コーチボックスでは小野寺亮二コーチ、“JD”ことジェームス・ダグラス・リンドコーチ、フィフスの石崎琴美が、相手ベンチと握手でお互いの健闘を称えた後、3人でスクラムを組むような形でお互いの肩を叩き合って喜びを共有した。 ロコ・ソラーレは今季、コーチ陣に若干の変更があった。昨季までJDコーチはナショナルコーチ、つまりロコ・ソラーレだけでなく日本代表に決定したチーム、世界選手権やパシフィックアジア(現パンチコンチネンタル)選手権などの日の丸をつけて戦う試合を中心に日本代表の強化を担っていた。日本のカーリングは基本的に日本選手権の優勝チームがそのまま日本代表に選出されるため、これまでの日本選手権では
いよいよクライマックスを迎える「全農 日本カーリング選手権大会2023」。女子のラウンドロビン(総当たりの予選リーグ)で1位通過を決めたのは、昨年の王者ロコ・ソラーレだ。 吉田夕梨花、鈴木夕湖、吉田知那美、藤澤五月という不動のメンバーのパフォーマンスを、フィフスの石崎琴美、チームが結成された2010年からの名物コーチ・小野寺亮二、今季から専任コーチとなった“JD”ことジェームス・ダグラス・リンドというお馴染みのトリオが見守る。 しかし、それとは別にNHK-BSの中継やYouTubeのライブ配信を注意深く観ていると、コーチボックスの逆側のハウス奥、ガラス越しに時折、ロコ・ソラーレの青いウエアを着用した男性が見切れることがある。目敏いファインは「あの人は一体?」と気づいたかもしれない。 髙田聖也トレーナーだ。 このメガネの似合う好漢は平昌五輪後からトレーナーとしてチームに帯同しはじめ、2021
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カーリングの指導をする上地雄大さん(手前左)(上地さん提供) カーリングのストーンが北海道から海を渡って沖縄にやってくる。北見市の地域おこし協力隊で那覇市出身の上地雄大さん(26)が仲介をして、南風原町のエナジックスポーツワールドサザンヒルへの無償貸与が実現した。同市の常呂町は2022年北京冬季五輪の女子カーリングで銀メダルを取った、ロコ・ソラーレが練習拠点とする。5月と6月には沖縄県で初の体験会や、ロコ・ソラーレによるカーリング教室も予定する。上地さんは「老若男女ができるスポーツなので沖縄でも人気になってほしい」と競技普及に期待を込める。 県外の医療系大学を卒業し、北見市にあるスポーツクラブに就職した上地さん。クラブにカーリングをしている選手がいて、体の使い方を学ぶために競技に触れた。当初は仕事としてやっていたが、サザンヒルを舞台に描かれた「南風原カーリングストーンズ」が漫画雑誌に掲載さ
著: 先崎学 昨年の末、妻とふたりで札幌に二週間ほど滞在した。私は将棋指し、妻は碁打ちである。棋士という業種は自由な時間が多いわりに旅行の日程が立てにくい。なぜならば、対局のほとんどはトーナメントであり、勝つとどんどん忙しくなっていくからである。じゃあ負けが込んだときに行けばいいじゃないかと思われるかもしれないが、負けることを前提に予定を組むアホはいないので、必然、まとまった旅行がしにくくなる。年末は対局もなく、絶好の旅行どきなのである。 それはさておき、のんびりとした旅であった。昼間は主にスキーをして、夜は居酒屋で一杯やる。すこし仕事もした。現地の子どもたちに将棋を教えたりして、これは言っちゃあなんだが、気楽な仕事で、またなかなかに保養にいい。盤にくいいるエネルギッシュな若い目は、くたびれた中年夫婦にほのかなリラックスを与えてくれた。 私は幼少期を札幌で過ごした。正確には、幼稚園の年中か
9日に投開票された9知事選で、唯一の本格的な「与野党対決」となった北海道知事選は自民、公明両党が推薦した現職が制した。また、大分知事選では19年参院選などで成果を上げてきた野党共闘が実現せず、自公系の新人が野党系新人に勝利した。立憲からは次期衆院選に向け、野党間連携の課題を指摘する声が上がる。 北海道―枠組みあっても支援広がらず 「敵はエベレスト並みだ。実績はないが、ばかみたいに支持率が高い」。選挙戦終盤、立憲幹部は現職の鈴木直道氏について、苦々しげに語った。 立憲は元衆院議員の池田真紀氏を推薦し、他の野党との「共闘」も実現した。だが「共闘の枠組みこそできたが、どんでん返しを生むような態勢にはできなかった」(立憲幹部)のが実情で、支援の広がりを欠いた。前回選では野党5党が推薦する候補を擁立したが、今回は共産、国民民主両党などが党本部レベルの推薦を見送った。 立憲も、池田氏の出馬表明後に泉健
鈴木 直道(すずき なおみち、1981年〈昭和56年〉3月14日[1] - )は、日本の政治家。北海道知事(第19代・20代)。2011年4月24日から2019年2月28日までの2期8年、夕張市長(第18代・19代)を務めた[1]。 来歴[編集] 1981年(昭和56年)3月14日、埼玉県春日部市で誕生。同県三郷市で育つ[4]。埼玉県立三郷高等学校在学中に両親が離婚。母のもとで育ち、経済的な事情から大学進学を断念。 東京都職員[編集] 東京都職員採用試験に合格し、高校卒業後の1999年4月、東京都庁に入庁した。19歳の2000年4月、都職員として勤務しながら法政大学第二部法学部法律学科[5]に入学[6]し地方自治を専攻、2004年卒業。 東京都職員時代は、東京都衛生局(のちの東京都福祉保健局)に配属され、東京都衛生研究所(のちの東京都健康安全研究センター)、東京都立北療育医療センター、福祉
炭鉱の閉山によって、少子高齢化が急速に進んだ 北海道のほぼ中央に位置する夕張市は、明治時代から「炭鉱のまち」として栄えてきました。 当時、石炭事業は国の基幹産業で、「黒いダイヤ」と呼ばれる良質の石炭が採れる夕張には、国策として多大な資金や資材が投入されました。戦後も石炭エネルギーの供給基地として発展を続け、1960年代の最盛期には12万人近くの人口を擁していました。当時の写真を見ると、まるで東京の渋谷か原宿のように商店街には人が溢れています。 炭鉱の住宅、電気、ガス、水道、病院などの生活インフラは民間の炭鉱会社が運営し、しかも利用料は無料。身一つで夕張へ来てもお金を稼げる仕組みが整っていたのです。 しかしその後、国のエネルギー政策が石炭から石油へと転換。炭鉱は相次いで閉山に追い込まれ、職を失った人たちは次々と夕張を去りました。石炭産業以外の産業基盤が乏しかったため、働き手である若者の転出は
2023年03月06日 11:30 札幌ドームの終わった感 Tweet スポニチ 札幌ドームの広告激減 一、三塁側フェンスからは企業名消えるもともと、札幌ドームは器の大きさの割に賑わい感が他の球場よりも乏しく、端的に言えば「がらんどう」みたいな印象があった。景気が良かったわけではないのだ。その挙句に北海道日本ハムファイターズは出て行ってしまったのだ。 これは第3セクターがスタジアムを運営し、行政がグリップを握り続けてきたことが大きい。日本の行政は「金儲け」については無能に等しい。予算を投下して行政サービスをして「一定の成果があった」というだけで具体的な収益については「赤字にならなければよい」という姿勢だった。 第3セクターではなく、北海道日本ハムファイターズなどを「指定管理者」にして、営業権、興行権も委託していれば、私企業である日本ハムは強力なマーケティングを実施して、大きな収益を上げてい
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