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同化か、自治か――台湾に憲政を求めた林献堂の方針転換(黒羽) : 中国・新興国・海外ニュース&コラム | KINBRICKS NOW(キンブリックス・ナウ)
東アジアの近代を考える上で梁啓超の存在感は大きい。日本統治下における台湾民族運動の立役者として知... 東アジアの近代を考える上で梁啓超の存在感は大きい。日本統治下における台湾民族運動の立役者として知られる林献堂もまた政治的方向性を模索する中で梁啓超からの影響を受けていた。 1907年に27歳だった林献堂は初めて東京へ行った。当時、戊戌の政変(1898年)に敗れて日本へ亡命していた梁啓超は横浜で「新民叢報」社を設立して、清朝の立憲改革を求める言論活動を精力的に展開していた。かねてから梁啓超の盛名を聞いていた林献堂は是非とも面会したいと思い、横浜の彼の寓居を訪問したが、あいにくなことに不在。後ろ髪を引かれる思いで立ち去ったが、台湾へ帰る途中に寄った奈良で、旅行中だった梁啓超と偶然に出会う。 梁啓超は広東訛り、林献堂は閩南語を話す。二人は言葉が通じないため筆談で語り合った。漢民族意識の強い林献堂は日本の植民地とされた台湾の苦境を訴えたが、梁啓超の返答はこうだった。「中国には今後30年間、台湾人を



2014/01/26 リンク