エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
『青春の終焉 (講談社学術文庫)』(三浦雅士)の感想(5レビュー) - ブクログ
一応、近代の批評、小説が青春という座標系においてどれだけ語られてきたかということが主軸にあるが太... 一応、近代の批評、小説が青春という座標系においてどれだけ語られてきたかということが主軸にあるが太宰が口頭伝承的で落語に期限があるとか、並置してドストエフスキーも口頭筆記が多かったとかの話がでてきて、そのほか様々なことについて語られしかも掘り下げ方が半端ないのでついていくのに結構大変だった。 一番おもしろかったのは村上龍、春樹、中上健次を大江の万延元年のフットボールの作内の対立構造において語るところで、「失うものは何もない」という急進性において、主人公の蜜三郎と弟の鷹四は対置されるのだが春樹においては鷹四(急新性)は最初から解雇されるか、すでに失われており、「失うものは何もない」という意識そのものが失われているというところだった。村上龍においては世界は破壊され失われるものの集積で、しかし春樹においては逆に世界はすでに終わっているという地平から始まっている。この対立は鮮明だろう。しかしその地平
2015/08/05 リンク