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武術のキャラクター性は使い手から逆算される - 火薬と鋼
武術に関する情報流通とメディア・創作物について - 火薬と鋼の続き。 武術のキャラクター性についても... 武術に関する情報流通とメディア・創作物について - 火薬と鋼の続き。 武術のキャラクター性についてもっと書いてみる。 武術のキャラクター性は、使い手のイメージから考えられていることが多い。 前回触れた宮本武蔵と二天一流以外にもそうした例はある。 例として隆慶一郎『吉原御免状』の柳生新陰流の説明を引用しよう。 柳生の剣は一名『策謀の剣」といわれる。『天下第一の剣」の体面を維持するために、どんな策謀もいとわないからである。 これは伝奇小説らしい策謀家としての柳生宗矩のイメージを反映している。 同じ小説の別な部分ではこういう説明もある。 元来、柳生の剣は攻めの剣である。息もつがせぬ攻撃に継ぐ攻撃で、敵を圧倒し去るのが本来の姿だった。 これは作中の攻撃的な柳生十兵衛のキャラクターにあわせて流派の特徴までそういう扱いにしてしまっている。 日本のフィクションに登場する八極拳のイメージが李書文の逸話に引
2017/01/07 リンク