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ゼノギアス論2 - 家族という檻〜「個性化の過程」の物語としての「ゼノギアス」
1・鏡の破片に映るもの 「アンタしゃんたち人間しゃんは、ほんとおかしな生き物でチュねえ。まるで、バ... 1・鏡の破片に映るもの 「アンタしゃんたち人間しゃんは、ほんとおかしな生き物でチュねえ。まるで、バラバラになったカガミのかけらのようでチュよ」 シェバトのチュチュは、人間を「鏡のかけら」と言った。 生まれたばかりの赤ん坊は、自己の全体像を知らない。自己は寸断され、まとまりを欠いている。鏡に映る自分を見ることで、赤ん坊は統一性のある自我を獲得していくのだ。同様に人間は他の人間に自分の一部を投影する。まるで他人が自分の「鏡」であるかのように。他者に自分を見ることは、だが、自分が自分の中にないということだ。 この過程をジャック・ラカンは「鏡像段階」と呼んだ。だから、互いを鏡とする人間達の集まりは、さながら「百億の鏡のかけら」なのだ。 (この説を取りいれていることが最もよく現れているのは、「ラカン」という「画家」である。ラカンの描くソフィアの絵は、ラカン自身を表現していた。つまりラカンにとって彼の
2005/05/08 リンク