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戊辰戦争で井伊は官軍に立って徳川と戦った
「女城主 直虎」は、「井伊家は250年に渡って徳川の天下を支え続けた」というナレーションで終わった。... 「女城主 直虎」は、「井伊家は250年に渡って徳川の天下を支え続けた」というナレーションで終わった。 ところが、実は、戊辰戦争では彦根藩はいちはやく官軍に与して徳川と戦ったのである。幕末維新の華麗なる主役は王政復古の中核となった西南雄藩であり、敵役は佐幕を貫き通した奥羽列藩同盟に参加した会津などである。 しかし、こうした主役や敵役よりも大勢をしめる迷える子羊たちこそが本当の主役だった。彼らは、勤王の論理が正論であること、幕府には恩義があること、自藩の存続繁栄が現実問題としては最も重要であることなどの間で揺れ動きつつそれぞれ結論を出していったのである。そのあたりを『井伊直虎と謎の超名門「井伊家」』 (講談社+α文庫)にも書いたので紹介したい。 井伊大老が桜田門外の変で暗殺されるまでは、彦根藩は歴史の主役だった。「花の生涯」といわれる直弼の時代が突然の終止符を打って名門井伊家の中央政界での活躍