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国鉄職員と制服(給仕)のお話 - 国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓
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国鉄職員と制服(給仕)のお話 - 国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓
皆さまこんばんは、本日も国鉄があった時代から少しだけお話をさせていただこうと思います。 本日取り上... 皆さまこんばんは、本日も国鉄があった時代から少しだけお話をさせていただこうと思います。 本日取り上げるのは、車掌補(乗客案内)と呼ばれた職種の人たちについてです。 車掌補と呼ばれる人たち、腕章には「乗客案内」と書かれた腕章を巻き車掌と同じ制服を着ていましたが、運転取り扱いなどの権限はなかったかと思います。 実際に国鉄に出車掌の仕事をされていた方のblogなどを見ますと、乗務掛⇒車掌補⇒車掌⇒専務車掌B⇒専務車掌A(後の車掌長と改称)となっていたそうで、乗務掛で経験年数を積むと車掌補となるらしく、腕章等は同じだったそうです。 車掌補(乗務掛)は昭和51年の改正で廃止されるのですが、車掌補(乗務掛)の主な仕事は、寝台車の設廃作業であり、概ね1両を1人で担当することになっていました。 一人で54台の寝台車を作って行くのでかなり重労働で有ったろうと思われます。 他にも。車掌補の仕事は寝台車の乗客を