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ララビアータ:修辞学(つづき) - livedoor Blog(ブログ)
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同情 ここで我々は、同情に対するニーチェの批判というより嫌悪を問題とせねばならない。彼は至る所でそ... 同情 ここで我々は、同情に対するニーチェの批判というより嫌悪を問題とせねばならない。彼は至る所でその反感を漏らしている。たとえば、『悦ばしき知恵』 矜持に乏しく、偉大な征服への望みなど皆目持たないような人間たちにあっては、同情はもっとも快適な感情である。(ちくま文庫ニーチェ全集版p−78) 彼ら〔同情深い人〕は〔不幸な人を〕援助しようとするが、不幸の個人的必要性というものが存在することには思いつかない。…要するに「同情の宗教」が助けるよう命ずるし、何をおいても手っ取り早く助けるのが一番よい助け方だと信じている。…さてそうなると、君たちは君らの同情の宗教以外にもう一つ別の宗教を胸中に持つことになり、そしてこれこそがおそらくは同情の宗教の母なのだ――つまり安楽の宗教。(同p−357) このような同情観は、主としてショーペンハウアーから、ないしはそれへのニーチェの反発から、来ているものである。