エントリーの編集

エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています

- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
近代小説のなかで、一人称の語り手"私"はどう描かれてきた? - ニュース|BOOKSTAND
夏目漱石、志賀直哉、太宰治、川端康成らをはじめとする文豪たちの小説、そして私たちが普段読んでいる... 夏目漱石、志賀直哉、太宰治、川端康成らをはじめとする文豪たちの小説、そして私たちが普段読んでいる小説の多くは、いずれも現代文、"言文一致体"で書かれたもの。日本近代小説は、明治期に普及した"言文一致体"によって、さまざまな試行錯誤を経ながら築き上げられてきたものです。 では実際に、それまでの漢文訓読体、和文体、翻訳体などの文体の並走状態から離れ、小説家たちは言文一致体で小説を書いていくにあたり、どのような問題を抱え、工夫を凝らしてきたのでしょうか。 言(話し言葉)と文(書き言葉)とを一致させようという試み、つまり話しているかのように書いていこうとする試みであった言文一致体が抱える問題。 そのひとつとして、安藤宏さんによる『「私」をつくる 近代小説の試み』では、"人称"という概念に注目。なかでも"私"をめぐってどのような試行錯誤がなされてきたのか、小説作品を随時とりあげながら分析していきます
2015/12/05 リンク