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私の戰爭觀 - ラディカルな経済学
なんだか偉さうな題名だが、一度書いておかないと前に進めないので、書いておきたい。 私はかつて戰爭を... なんだか偉さうな題名だが、一度書いておかないと前に進めないので、書いておきたい。 私はかつて戰爭を積極的に肯定してゐた。人間にはそれぞれ生命にかけても守りたいと信じるものがあり、それを守るためには、時には暴力の行使も止むを得ない、いやそれどころか、暴力を積極的に行使すべきだと考へてゐた。「生命にかけても守りたいと信じるもの」とは、たとへば家族であり、抑壓からの自由であらう。 今でもこの考へは基本的に變はつてゐない。私はここ數年リバタリアニズム(自由主義)が自分の戰爭觀にもたらした變化について記したいと思ふが、リバタリアニズムは個人が家族や自由を守るために暴力を行使して戰ふことを否定してゐない。トルストイ流の絶對平和主義ではないからだ。私もリバタリアンになつたことによつて絶對平和主義を信奉するやうになつたわけではない。にもかかからず、リバタリアニズムは私の戰爭觀に大きな轉換をもたらした。 自
2015/08/07 リンク