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『倒錯の偶像』と思想家がもたらす女性蔑視 - 烏蛇ノート
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『倒錯の偶像』と思想家がもたらす女性蔑視 - 烏蛇ノート
墨東公安委員会氏の記事に対して言及した前回の記事に対して、墨東公安委員会氏から次のようなお返事を... 墨東公安委員会氏の記事に対して言及した前回の記事に対して、墨東公安委員会氏から次のようなお返事をいただきました。 さて、烏蛇さんのご指摘は、小生が「『萌え』文化の本質はミソジニーである」という主張をしており、それは飛躍である、ということかと思います。しかし正直なところ、これは小生としてはいささか本意ではないのであり、弁解させていただければと思います。 先の記事に寄せられた数多くの言葉を読みながら、小生が喉元まで出かかっていて、でも「それをいっちゃあオシマイよ」と抑えていた言葉があります。それは 「『倒錯の偶像』読んでから来い」 です(苦笑)。 (中略) 小生が「萌え」表象の日本社会への浸透に、社会におけるミソジニーの瀰漫(これの一展開が「日本会議」の成長と影響力の増大です)を読み取ったのは、ダイクストラ『倒錯の偶像』が19世紀西洋を舞台として描いた構図を、21世紀の日本にも応用できるのでは