エントリーの編集

エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
通俗的左翼倫理主義という妖怪が・・・。ヘイトスピーチやヘイトスピーチ法に関する言動の中にもこの通俗的左翼倫理主義が蔓延している。左翼思想の弱体化、通俗化、凡庸化の結果であ
記事へのコメント7件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています

- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
通俗的左翼倫理主義という妖怪が・・・。ヘイトスピーチやヘイトスピーチ法に関する言動の中にもこの通俗的左翼倫理主義が蔓延している。左翼思想の弱体化、通俗化、凡庸化の結果であ
👈応援クリックよろしくお願いします! 私は、まだ10代の頃から、左翼や左翼思想が嫌いだった。私が左翼... 👈応援クリックよろしくお願いします! 私は、まだ10代の頃から、左翼や左翼思想が嫌いだった。私が左翼思想が嫌いになった理由は、通俗的左翼倫理主義というものが好きでなかったからである。小市民的道徳主義で文学や思想の本質が語れるとは思わなかった。そこへ行くと「保守派」や「保守反動派」の方が、通俗的倫理主義から自由だった。 つまり、「保守派」の思考力の方が、文学や思想においては、深く、刺激的で、過激であった。私は、小林秀雄や三島由紀夫、江藤淳らの過激な思考力の方が好きだった。しかし、いつの間にか、保守派の方も、過激な原理的思考力を放棄して、通俗的倫理主義に陥るようになった。 その時点で、私は、いわゆる大衆化した通俗的保守派の思考には嫌悪感しか感じなくなり、私は、私なりの論理で「保守」を声高に主張する「似非保守」とは訣別した。それをまとめたのが拙著『保守論壇亡国論』 である。 「川崎ヘイトデモ騒
2016/06/08 リンク