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ローカル「文化」がイカス!と普遍化し「文明」になるダイナミズム…を「文化の盗用」論は妨げるだろうね。(VOGUE騒動で思い出す司馬遼太郎) - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
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司馬遼太郎が語る「文明」と「文化」(アメリカ素描) - 見えない道場本舗 (id:gryphon / @gryphonjapan)... 司馬遼太郎が語る「文明」と「文化」(アメリカ素描) - 見えない道場本舗 (id:gryphon / @gryphonjapan) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20131102/p1 再掲載 ここで、定義を設けておきたい。 文明は「たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまりは普遍的でない。 例えば青信号で人や車は進み、赤で停止する。この取り決めは世界に及ぼしうるし、げんに及んでもいる。普遍的という意味で言えば交通信号は文明である。 逆に文化とは、日本でいうと、婦人がふすまをあけるとき、両ひざをつき、両手であけるようなものである。立ってあけてもいいという合理主義はここでは成立しえない。不合理さこそ文化の発光物質な
2017/02/18 リンク