エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
バブル:日本迷走の原点 永野健二 - 本と奇妙な煙
日本興業銀行 誠備グループ 大蔵省がつぶした「野村モルガン信託構想」 頓挫した大蔵官僚・佐藤徹による... 日本興業銀行 誠備グループ 大蔵省がつぶした「野村モルガン信託構想」 頓挫した大蔵官僚・佐藤徹による「金融改革」 山一証券の分岐点 バブル:日本迷走の原点 作者:永野 健二 発売日: 2016/11/18 メディア: 単行本 日本興業銀行 日本興業銀行(興銀)がもっていた独特の存在感を知る人の数も、次第に少なくなっているかもしれない。戦後の復興期から高度成長期にいたるまで、日本の産業史のあらゆる場面に、興銀の姿があった。興銀は大蔵省・通商産業省公認の日本経済のコンサルタントであり、日本全体の資本を差配するベンチャーキャピタルだった。 興銀は、日本の重化学工業の振興を目的として、1902年(明治35年)の日本興業銀行法によって誕生した。預金ではなく金融債の発行によって資金を調達し、それを長期で企業に貸し出す特殊銀行だった。興銀は明治末期以降の対外戦争によってその存在感を高め、40年代から大平