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チリ、1973年9月11日 - 村野瀬玲奈の秘書課広報室 日本では忘れられがちになる、チリのピノチェト(ピノ... チリ、1973年9月11日 - 村野瀬玲奈の秘書課広報室 日本では忘れられがちになる、チリのピノチェト(ピノチェ)によるクーデター。この結果、チリは市場原理主義政策の実験場となった。腕をふるったのは、シカゴ大学留学経験を持つ「シカゴ・ボーイズ」たち。 『世界』2009年4月号の宇沢弘文と内橋克人の対談の中から、宇沢弘文が1973年のチリでのクーデターについて説明した部分を引用。 宇沢市場原理主義的な政策が最初にアメリカから輸出されたのはチリです。シカゴ大学には中南米からの留学生が多く、そういう学生たちを積極的に支援して、サンチャゴの私立カトリック大学をベースにCIAが巨額の資金をつぎ込む。ピノチェのクーデターを資金的にも軍事的にもサポートする。1973年9月11日にアジェンデ大統領が虐殺された後、シカゴ大学で市場原理主義の洗脳を受けた「シカゴ・ボーイズ」たちが中心になって、新自由主義的な政
2014/09/27 リンク