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この遠い道程のため――承前 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
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片岡義男・鴻巣友季子『翻訳問答』について、もう一つだけ書いておきたい。前回の最後に引用した片岡義... 片岡義男・鴻巣友季子『翻訳問答』について、もう一つだけ書いておきたい。前回の最後に引用した片岡義男のことば、「書き手が言葉を選んでつないでいくことが文章の前進力になる」ということに関連して、片岡さんは一つの例を提示している。それは、金子光晴の「富士」という詩の、アーサー・ビナードさんによる英訳(『日本の名詩、英語でおどる』みすず書房、2007年)である。 「日本語の作品を英訳する場合、ある作品を日本語で読み、その内容を摑んだうえで、それが形而上的な内容なら、内容に忠実に英語でリライトしなければいけない。英語の言葉の倫理に、日本語で書かれている内容を、取り込まなくてはいけないのです」と片岡さんはいう。「倫理」は「論理」の誤りだろう。「そのたいそう良く出来た例として」、片岡さんは、「富士」の最終スタンザのみ、原詩と訳詩を挙げている。以下のとおり。 雨はやんでゐる。 息子のゐないうつろな空に な