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ビッグコミックスペリオールの「チェイサー」に漫画サンデーの事が出て来たんで1967年当時とその少し後について解説する - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明
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ビッグコミックスペリオールの「チェイサー」に漫画サンデーの事が出て来たんで1967年当時とその少し後について解説する - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明
ビッグコミックスペリオールで連載中の、チェイサー@コージィ城倉、面白いですねー。 手塚治虫の影を追... ビッグコミックスペリオールで連載中の、チェイサー@コージィ城倉、面白いですねー。 手塚治虫の影を追う漫画家を主人公に、当時の世情、漫画、アニメ状況やなんかも描かれています。 で、金曜日に出たスペリオールに掲載された22話は1967年の話。手塚治虫が漫画サンデー(マンサン)に描いている、というのが出て来ます。 海徳は、「文春が出した「漫画読本」でおとな漫画をチラッと描いとった」 と言ってますが、実は漫画サンデーでは1963年頃から散発的に手塚作品が掲載されていました。 それらは読切や短期作品だったので、本格的な連載を持ったのが「人間ども集まれ!」だったんですね。 漫画集団は、戦前・戦中世代の作家がメインで、手塚も当時は大正生まれと称していたあたりから、仲間とみなされていたのもあったのかなあと。 ちなみに「人間ども集まれ!」は、単行本化時に大幅な修正が行われたため、1999年に出た「完全版」で