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発達障害に「気味」はない | 意味不明なヒトビト
私は発達障害に、「**傾向」や「**気味」という様な中間的な状態があるとは考えない。ASでもADHDで... 私は発達障害に、「**傾向」や「**気味」という様な中間的な状態があるとは考えない。ASでもADHDでも、かなりはっきりとした思考や行動(脳の働き)の質的な違いが多数派との間に見られるからだ。 一覧チェックリストを作ると、「誰でもいくつかは当てはまる」という議論をよく聞くが、見る人が見れば、過集中の行動や対人関係の無頓着さとか極端な愛着は多数派とは根本的に違うと分かる。 ASで合理的に考えられる人、いわゆる「受動型」の人、ADHDでこだわりが強く、自己正当化型の場合など、ADHDかASかでなかなか診断をつけられないケースはあるが、「いずれにしても発達障害」という診断はある程度のケースをこなしてくればそれほど困難ではないと思う。 こういう中間が存在しないという考え方が、「発達障害は少数異民族」というコンセプトの根拠のひとつとなっている。ADHDまたはASというひとつの「文化的まとまり」に似た