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黒田大雅, 浅野紀予「夢十日 / Ten Waking Dreams (1)」 | ÉKRITS / エクリ
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黒田大雅, 浅野紀予「夢十日 / Ten Waking Dreams (1)」 | ÉKRITS / エクリ
第0日 「夢」はどこにあるのだろうか? 睡眠中の体験とも物語ともつかないイメージたち、醒めて描く将来... 第0日 「夢」はどこにあるのだろうか? 睡眠中の体験とも物語ともつかないイメージたち、醒めて描く将来への希望。この2つが大抵どの言語でも同じ1つの言葉で表されてしまう。 dream träumen rêve sueño حلم 꿈 夢 ゆめ 「夢物語」のように非現実の象徴として用いられもするが、「夢判断」で用いられるように現実と全く乖離したものでもない。快不快や欲望からだけでも説明は付かず、まるで散歩の途中に眺めている、移ろう景色のような現実感を伴った経験。日頃の活動の中でふと立ち返る、子供の頃に見た風景などは、夢ととてもよく似た、記憶の道標となっている。夢に形を与えることもできる。スケッチや夢日記。舞台や音楽。夢そのものあるいは、夢見ることは多くの作品の主題となってきた。 夏目漱石は、その小説「夢十夜」の第一夜、第二夜、第三夜、第五夜をこう始めている。 「こんな夢を見た。」 このように書