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マームとジプシー『ハロースクール、バイバイ』は、記憶という行為そのものを舞台化した前例のない演出手法だ | fringe blog
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マームとジプシー『ハロースクール、バイバイ』は、記憶という行為そのものを舞台化した前例のない演出手法だ | fringe blog
この記事は2011年1月に掲載されたものです。 状況が変わったり、リンク先が変わっている可能性がありま... この記事は2011年1月に掲載されたものです。 状況が変わったり、リンク先が変わっている可能性があります。 終演後、いま観たばかりの作品を戯曲で確認したいと思うことが、私の場合は3年に一度くらいある。手元に残しておきたい珠玉の台詞、どうやって稽古したのかわからない絶妙な演出に出会ったときなど、その場で戯曲を確かめたくなる。フェスティバル/トーキョー10(F/T10)公募プログラムで11月24日に拝見したマームとジプシー『ハロースクール、バイバイ』は、まさにそんな作品だった(残念ながら物販はなかった)。 舞台は海が近い「かもめ中学校女子バレーボール部」。これまでの作品が14歳を描いていたように、ここでも14歳の中学2年生たちが描かれる。試合時間に見立てた90分の上演中に、転校生を中心とした部員たちの身近なエピソードや練習風景が、短いシーンのカットバックで綴られる。実際のバレーボールは使用せず