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短すぎる公演日程や早すぎる開演時間の演劇は公共性がない(2) | fringe blog
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短すぎる公演日程や早すぎる開演時間の演劇は公共性がない(2) | fringe blog
この記事は2011年12月に掲載されたものです。 状況が変わったり、リンク先が変わっている可能性がありま... この記事は2011年12月に掲載されたものです。 状況が変わったり、リンク先が変わっている可能性があります。 平田オリザ著『芸術立国論』(集英社、2001年)では、公共性という概念は「ある/ない」ではなく、「高い/低い」を問われるべきだとした。これは私もそのとおりだと思う。演劇や劇場について語るとき、当然「高い/低い」で考えるべきだろう。だが、具体的な一つ一つの公演日程や開演時間についてはどうなのか。「演劇の公共性」という概念が一人歩きをしてしまい、「公共性がある」ことを大前提にしていると、そこで思考停止になってしまわないか。こうした興行に関わる具体的な課題に関しては、「ある/ない」の視点で考えることも必要だと私は思う。 「アクセス」という言葉は、その公演への接しやすさという意味で使用した。内容を読めば、都市部の現代演劇公演を念頭に書かれていることがわかると思うのだが、揚げ足取りのような反