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崩壊する戦線(3)―白骨街道「インパール作戦」(概要)
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崩壊する戦線(3)―白骨街道「インパール作戦」(概要)
1943(昭和18)年2月にガダルカナル島を失って以降、太平洋方面の戦いは一気に日本軍に分の悪い状況にな... 1943(昭和18)年2月にガダルカナル島を失って以降、太平洋方面の戦いは一気に日本軍に分の悪い状況になっていきました。 そして、西側の最前線であるビルマ(現在のミャンマー)でも、連合軍の反撃が始まりつつありました。 本項では、ここでも補給の軽視によって日本軍が大打撃を受け、太平洋戦争の中でも最も無謀と言われた「インパール作戦」を概観します。 イギリス・インド軍による特殊作戦 1943(昭和18)年2月、約3000名のイギリス・インド連合軍(英印軍)が中部ビルマに突如現れ、1か月半にわたり日本軍へ攻撃を仕掛けました。 ビルマとインド国境はアラカン山脈という、最高峰は富士山とほぼ同じ高さの山が占める、極めて険しい山脈に隔たれており、大軍が乗り越えられないと考えられていました。 それだけに、この英印軍の出現は日本軍にとって脅威的でした。この部隊はイギリス軍のウィンゲート少将に率いられた「チンデ