エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
『用の美』 - HONZ
大正十四年、民衆の日常品の美に注目した三十六才の柳宗悦は、陶芸家の河井寛次郎らと共に「民藝」とい... 大正十四年、民衆の日常品の美に注目した三十六才の柳宗悦は、陶芸家の河井寛次郎らと共に「民藝」という新語を生み出した。宗悦らは日本中から陶磁器、木工、金工、染織、絵画、彫刻などの民藝品を収集、昭和十一年には駒場に日本民藝館を開設した。本書はそのコレクションの一部を紹介したものだ。 もちろん、この「民藝」とは観光地のみやげ物店で売られている「民芸品」ではない。本書でも豊富に紹介されている古伊万里であり、李朝白磁である。柳はこれまで生活雑器として朽ちるにませていた無銘の雑器の再評価運動を指揮したのだ。 本来骨董といえば、まずは茶の湯の道具である。ところが、柳宗悦はこの茶の湯の創始者たちを軽んじていた。「利休と私」というエッセイのなかで柳は「遠州の如きは歯牙にかけるほどのものでさえないと思われてならぬ。」と非常に手厳しい。また、利休に対しても「利休は利休として認めてもよいが、利休程度の仕事に自分の