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永井均の「翔太が〈私〉である」について - 哲楽
森岡正博(もりおか・まさひろ) 1958年高知県生まれ。1983年東京大学文学部卒。現在、早稲田大... 森岡正博(もりおか・まさひろ) 1958年高知県生まれ。1983年東京大学文学部卒。現在、早稲田大学人間科学部教授。哲学、倫理学、生命学を中心に、学術書からエッセイまで幅広い執筆活動を行なう。著書に『まんが哲学入門』2013年・講談社、『無痛文明論』2003年・トランスビュー、『宗教なき時代を生きるために』1996年・法蔵館など多数。 2015年12月12日に開催された第2回現代哲学ラボにおいて、私は永井均に公開インタビューを行なった。それはたいへん刺激的で有益なものだった。そのときに私が質問したひとつのテーマが私にとって重要なものであることが判明したので、ここにメモとして残しておきたい。 まず私は永井の『哲学の密かな闘い』(ぷねうま舎 2013年)の次の箇所に注目した。永井は、翔太と由美という二人の人物を想定し、翔太の記憶が由美の記憶に徐々に置き換わっていくという思考実験をしている。そし