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日韓「政治決着」で葬られた謎の拉致事件 なぜ日本は最後まで弱腰だったのか
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日韓「政治決着」で葬られた謎の拉致事件 なぜ日本は最後まで弱腰だったのか
それは東京都心のホテルで白昼堂々実行された。1973年、当時韓国の野党指導者だった金大中が日本で拉致... それは東京都心のホテルで白昼堂々実行された。1973年、当時韓国の野党指導者だった金大中が日本で拉致され、5日後にソウルの自宅付近で解放されるという事件が起きた。指紋などから韓国の情報機関(KCIA)の関与が疑われたが、日韓の「政治決着」で真相は闇に葬られた。なぜ日本は、重大な主権侵害に対して、最後まで弱腰だったのか――。 突然背後から襲われて 東京都心のホテルで、それは白昼堂々実行されました。1973年8月8日、当時韓国の野党指導者だった金大中(キム・デジュン)は、千代田区飯田橋にあるホテルグランドパレスで、複数の男たちに拉致されたのです。 金大中は、病気療養のため日本に滞在していた韓国の野党指導者、梁一東(ヤン・イルトン)と、同ホテルの2212号室で会食していました。会食を終えた金大中が部屋を出て、廊下を歩いていると、突然2210号室から出てきた男たちに背後から襲われ、部屋の中に引きず