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OSHO 「信心銘」第五章 ⑨ - saleemのブログ
“しかもなお、それぞれとともに、全世界を包含する。” 分離していなくても、人は何も失いはしない。 逆に... “しかもなお、それぞれとともに、全世界を包含する。” 分離していなくても、人は何も失いはしない。 逆に 全体を獲得する。 ところが、人は常に失うことを恐れている。 常に こう考える。 「もし自分自身を失なったら、私はもういなくなる。 そうなったら、何を得ることができよう」と。 あなたは いなくなり、そして全体を獲得するのだ。 それに、あなたが失うものと言っては他でもない、惨めさと、不安と、苦悩だけだ。 失うような何かを持っているかね。 あなたは 失うべきものなど何も持っていない。 苦しみと、束縛だけではないか。 そして誰もが、自分の中に全世界を持っている。 自分を失えば、自分がその全世界になる。 すべては あなたのものだ。 人は 自分故に乞食なのだ。 帝王であり得るというのに・・・・、頭(マインド)こそが 物乞いの鉢なのだ。 あるスーフィーの話を聞いたことがある。 これは最も古いスーフィー
2016/03/30 リンク