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(73)絶望 追い込まれた命 孫進学させられない 釣り仲間の誘いも断る | 東日本大震災 | 福島民報
無類の釣り好きだった喜一さん。避難生活でふさぎ込み、新潟への釣りの誘いを断った 東京電力福島第一原... 無類の釣り好きだった喜一さん。避難生活でふさぎ込み、新潟への釣りの誘いを断った 東京電力福島第一原発事故の避難中に自ら命を絶った浪江町の五十崎喜一さん=当時(67)=は事故発生から約1カ月後の平成23年4月、郡山市の避難所から二本松市のアパートに移り住んだ。だが、不眠や食欲不振は改善しなかった。糖尿病の症状も思わしくなかった。5月初旬、妻の栄子さん(65)と南相馬市原町区のかかりつけ医に診てもらった。 飲み慣れた薬を服用するようになってからは、少しずつ調子が戻ってきたようだった。栄子さんと霞ケ城や神社仏閣を散策し、買い物にも出掛けた。6月には、避難している仲間と新潟県に釣りに行き、約3カ月ぶりに趣味を満喫して笑顔で帰ってきた。 このころ、母シズイさん(93)の認知症が進んだ。徘徊(はいかい)を繰り返す度に喜一さんらは振り回された。何度も薄暗くなるまで捜し回った。 一家の大黒柱として、避難先
2014/04/29 リンク