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狂騒のワイト島に静寂をもたらしたレナード・コーエン
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狂騒のワイト島に静寂をもたらしたレナード・コーエン
グレートブリテン島の南部に隣接するようにして浮かぶワイト島。種子島ほどの大きさで人口15万人にも満... グレートブリテン島の南部に隣接するようにして浮かぶワイト島。種子島ほどの大きさで人口15万人にも満たない自然豊かなこの島は、古くから避暑地としてイギリス人に親しまれてきた。今日では、毎年催されるワイト島フェスティバルで知られている。 はじめて催されたのは1968年。出演したバンドのほとんどはイギリスのバンドだったが、ヘッドライナーとしてヒッピー・ムーブメントを代表するジェファソン・エアプレインが、アメリカ西海岸から海を渡って参加した。 イギリスにおけるロック・フェスの先駆けともいえるこのイベントには、8月31日と9月1日の2日間でおよそ15000人が来場し、翌年の第2回では、バイク事故以降ファンの前から姿を消していたボブ・ディランがステージに上がったことで大きな話題となった。 そして3回目となる1970年のワイト島フェスティバルは、良くも悪くも歴史に名を残すイベントとして語り継がれることと