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知床旅情〜加藤登紀子が“私の原点”として大切に歌いつづけてきた名曲
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知床旅情〜加藤登紀子が“私の原点”として大切に歌いつづけてきた名曲
「1968年は夫と知床旅情に出会った私の原点。世の中が二つに割れているような当時、ふと思ったのは、人... 「1968年は夫と知床旅情に出会った私の原点。世の中が二つに割れているような当時、ふと思ったのは、人と人の間に裂け目ができても、底でつながる歌を唄いたいということだった。歌い継がれ、心に根を生やして育っていく。知床旅情はそんな歌だから、大切に歌いつづけたいんです。」(加藤登紀子) それは1960年(昭和35年)の出来事だった。 北海道東部に位置する知床半島の羅臼(らうす)で、東宝映画『地の涯に生きるもの』の長期ロケが行われた。 “知床”という地名は、アイヌ語の「シレトク(siretok)」で“地の涯(はて)”を意味する言葉が由来とされている。 映画の原作は戸川幸夫の小説『オホーツク老人』で、国民的俳優の森繁久弥(当時47歳)が主演を務めたことで話題作となった。 ロケの最終日、森繁は「さらば羅臼よ(別題:オホーツクの舟歌)」という歌を作って羅臼の人達に贈った。 それは知床住民の間で昔から歌わ