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歴史の豆知識! ロクなことがなかった、後醍醐天皇の失敗政策まとめ | マイナビ学生の窓口
キリが良い数字で覚えやすいためか1333年「建武の新政」と、それを行った後醍醐天皇の名前を今でも記憶... キリが良い数字で覚えやすいためか1333年「建武の新政」と、それを行った後醍醐天皇の名前を今でも記憶している人は多いのではないでしょうか。さて、この建武の新政がものすごい失政だったのをご存じでしょうか。 ■陰謀が大好きだった!? 後醍醐天皇は、どうも陰謀が大好きな人だったようです。建武の新政にたどり着くまでに、さまざまな謀略を駆使しています。 もともと後醍醐天皇は、後二条天皇の遺児・邦良親王が成人して皇位に就くまでの中継ぎ役でした。しかし、自分の子孫を皇位に就けたいと思い、皇位継承を裏書きしている鎌倉幕府を憎みます。そこから鎌倉幕府を倒すことをもくろみます。 1324年:倒幕計画が発覚。後醍醐天皇自身はセーフ! でしたが側近が処分されます。 1331年:倒幕計画を続行中でしたが密告され窮地に! 京都を脱出! 鎌倉幕府は後醍醐天皇をソッコーで廃位。光厳天皇が即位。 笠置山に籠城した後醍醐天皇
2017/05/15 リンク