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木村義雄十四世名人が皇居で名人復位?第8期名人戦「済寧館の決戦」とは?【今日は何の日?】|将棋コラム|日本将棋連盟
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木村義雄十四世名人が皇居で名人復位?第8期名人戦「済寧館の決戦」とは?【今日は何の日?】|将棋コラム|日本将棋連盟
江戸時代に江戸城で行われていた御城将棋。明治以降、御城将棋は指されていないが、皇居での対局は1局... 江戸時代に江戸城で行われていた御城将棋。明治以降、御城将棋は指されていないが、皇居での対局は1局指されている。それが1949年5月24日に指された第8期名人戦五番勝負第5局の▲木村義雄前名人-△塚田正夫名人戦だ(戦後の不安定な情勢が続いて、この期のみ七番勝負ではない)。対局場は皇居内の済寧館(さいねいかん)で、本局は「済寧館の決戦」とも呼ばれる。 済寧館は300畳ほどの柔剣道の道場。畳があるのは柔道用の道場だが、柔道用ゆえにバネ仕掛けになっており、歩くと揺れる。そこで、板の間の剣道場の近くを対局場とし、緋色の毛氈を敷き、コの字型に金屏風をめぐらせた。小説家の坂口安吾は、観戦した模様を「勝負師」という随筆で書き残している。 第8期名人戦は塚田名人に木村前名人が挑戦したシリーズだ。戦後、名人戦の持ち時間は3日制各15時間から1日指し切り制の各8時間となった。1947年の第6期名人戦は、新しい環