エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
0487 - 松岡正剛の千夜千冊
幼稚園と小学校は日曜教会だった。中学生のときはYMCAだ。高校時代、飯田橋の富士見町教会に通って... 幼稚園と小学校は日曜教会だった。中学生のときはYMCAだ。高校時代、飯田橋の富士見町教会に通っていたとき、初めて聖書を手にした。新約だった。イエスの奇蹟と教えが書いてあった。少し読んでみたが、すぐには入っていけない。牧師さんに何を尋ねてみても、天上界に誘導されるばかり。それならというので旧約を入手してパラパラ拾ってみると、こちらは歴史物語のように摘まめる。 旧約聖書は小説ではない。かなり特別な歴史の吐露である。けれども「モーセのエジプト脱出」や「ノアの洪水」や「ソロモンの伝説」のように、歴史と虚構はかぎりなくまぜまぜされている。一人や数人によって著作されたものでもない。万巻すべてが時と所をまたいだグループ編集であって、クロニクル編集なのである。「イザヤ書」「エレミヤ書」「エゼキエル書」は預言記録であって、かつまた地域と集団に共有された記憶のまとめでもあった。 総じて旧約には、約束の地カナー