エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
『JASRAC旋風、その親はプラーゲ旋風』
人治国家的な威喝スタイルで日本国中に騒動展開中なJASRACではありますが、そのJASRAC発行のパンフレッ... 人治国家的な威喝スタイルで日本国中に騒動展開中なJASRACではありますが、そのJASRAC発行のパンフレットに次のような記載を見付けました。 JASRAC設立のきっかけとなった「プラーゲ旋風」をご存じですか。 1931年(昭和6年)、ドイツ人のW・プラーゲ博士が、ヨーロッパの主要な著作権団体の代理人として、日本での仲介業務を開始。著作権思想の普及していないわが国での強い権利主張と、当時としては高額な使用料請求は「プラーゲ旋風」と呼ばれ、社会問題に発展しました。 著作権法を所管していた内務省は対策を講じ、1939年(昭和14年)に「仲介業務法」を制定、著作権の仲介業務を行うには監督官庁の許可が必要となりました。そして、同法による許可を受けて、この年にJASRACが設立されたのです。 プラーゲ博士は、仲介業務の許可を受けることができず、1941年に帰国しました。 (「JASRAC」1998年