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「5万円までのギャラなら直営業は認める」報道――吉本興業は1ミクロンも変わらなかったのか | 文春オンライン
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「5万円までのギャラなら直営業は認める」報道――吉本興業は1ミクロンも変わらなかったのか | 文春オンライン
1912年に創業し「100年企業」へと成長した吉本興業。大阪は天満天神の一寄席からはじまった同社は、今や... 1912年に創業し「100年企業」へと成長した吉本興業。大阪は天満天神の一寄席からはじまった同社は、今や世界中にエンターテイメントの輪を広げている。所属芸人の「闇営業」問題など同社のブラックな側面が強調される昨今だが、その拡大の歴史にはさまざまなキーパーソンの存在があった。 吉本興業で宣伝広報部を設立した伝説の広報・竹中功氏の著書『吉本興業史』(角川新書)より、一部を抜粋する ◇ ◇ ◇ 人を笑わすエンタテインメントが本業 林裕章会長が亡くなったのは、2005年(平成17年)1月だ。 中田カウスの回顧によれば、裕章会長は亡くなる間際、「紳助のこと、頼むぞ……」とカウスに言っていたそうだ。裕章会長は紳助のことを買っていて、その当時の紳助は、吉本所属マネージャーへの暴行事件で謹慎していた頃だったからだ。裕章会長が亡くなると、マサ氏は「大﨑の鼻の先に“社長”って書いたニンジンぶら下げて、一生走ら