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「伝令です。すぐ向かって下さい!」刑務官が遭遇した世紀の“大阪刑務所医学部入試問題流出事件”とは? | 文春オンライン
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「伝令です。すぐ向かって下さい!」刑務官が遭遇した世紀の“大阪刑務所医学部入試問題流出事件”とは? | 文春オンライン
19歳で亡父のあとを継いで刑務官になった坂本敏夫は、大阪刑務所着任4年目を迎えた昭和45年(1970年)の... 19歳で亡父のあとを継いで刑務官になった坂本敏夫は、大阪刑務所着任4年目を迎えた昭和45年(1970年)の秋に中間幹部養成の研修に入った。 場所は谷町四丁目の合同庁舎である。坂本は11月25日の昼食時にここの食堂のテレビで三島由紀夫の割腹自殺の一報に触れたことを強烈に記憶している。 無事に12月に研修を卒業すると警備隊に配属された。これで看守部長への道が開け、あとは現場の実績を積み高等科の研修を受ければ、所長まで行けるのだ。 「伝令です。4区に向かって下さい」 事件は年が明けた昭和46年(1971年)1月15日に起きた。午前2時過ぎ、刑務官官舎の玄関の戸が勢いよく叩かれた。眠っていた坂本は飛び起きて灯りを点けた。 戸を開けるよりも早く、「保安本部の伝令です。4区に向かって下さい」と屋外から声が掛けられた。警備隊長以下警備隊員13名に非常登庁命令が伝えられたのである。 「了解しました」と返答