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「文学部はひどい状態だった」集団リンチで死亡した学生の通夜で早稲田大学総長が放った“無責任すぎる”言葉とは | 文春オンライン
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「文学部はひどい状態だった」集団リンチで死亡した学生の通夜で早稲田大学総長が放った“無責任すぎる”言葉とは | 文春オンライン
1972年11月8日、早稲田大学に通う川口大三郎氏が、同大学生徒の革マル派活動家たちによる8時間にも及ぶ... 1972年11月8日、早稲田大学に通う川口大三郎氏が、同大学生徒の革マル派活動家たちによる8時間にも及ぶ集団リンチによって殺害された。凄惨なリンチ事件はどのような経緯で発生したのか、なぜ学生・大学側は凶行を止めることができなかったのだろうか。 ここでは、ジャーナリストの樋田毅氏による著書『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)の一部を抜粋。川口氏の親友、二葉幸三氏による証言を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む) ◆◆◆ 川口君の遺体を確認した二葉さん 再び、二葉さんの「聞き書き」に戻る。 翌日(11月9日)の午前10時頃、下宿先に電話があった。「本富士警察署の者です」と名乗るので、戸惑った。後で聞くと、川口の遺体はこの日の早朝、東大病院の前で見つかっていたので、東大病院を管内に持つ本富士署から最初に電話があったのだ。本富士署の刑事は「二葉さんですね。ちょっと警察