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亡命した中国外交官が語る「中国最大のタブー」
いまから37年前の1989年に起きた六四天安門事件。中国政府による学生運動の武力弾圧で、中国の民主化の... いまから37年前の1989年に起きた六四天安門事件。中国政府による学生運動の武力弾圧で、中国の民主化の動きが潰えたいっぽう、党の支配体制は安定。その後の中国の爆発的な経済成長と強国化は、この事件がもたらした「安定」のもとで進んでいった。 他方、天安門のデモと惨劇がその後の人生を変える最初のきっかけとなった人物がいる。元外交官、2005年に赴任先であるオーストラリアに亡命した陳用林だ。 中国のスパイ網の実態を証言した前回記事『中国スパイは1000人以上……? 豪州に亡命した元「政治領事」の中国外交官が暴露する「浸透工作の実態」』に対して、後編となる今回は、天安門事件に深く関わることになった彼の回想を中心に紹介していこう。 中国で子どもを育てたくなかった──陳さんは駐シドニー総領事館の政治処(ほぼ情報部門)の課長クラスだった立場から、2005年に家族で亡命しています。中国の外交官宿舎って、入居









2026/09/28 リンク