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ミサイル防衛の現実を踏まえれば、イージス・アショア導入以前にやるべきことがある « ハーバー・ビジネス・オンライン
前回同様、ミサイル防衛とイージス・アショアの話を続けていきたいと思います。第二回目の今回は、「弾... 前回同様、ミサイル防衛とイージス・アショアの話を続けていきたいと思います。第二回目の今回は、「弾道弾防衛の歴史」としてテポドンショック以降の弾道弾防衛について語っていきます。 1993年半島核危機と1998年テポドンショックで、日本は明日にも核ミサイルが降ってくるかのような上を下への大騒ぎとなりました。実際には、日本を対象としたミサイルは、準中距離ミサイル(MRBM)ノドンで、当時は半数必中界(CEP セップ:10発撃てばそのうち5発が命中する半径)2000~4000m、弾頭1.2tの高性能爆薬と、ナチスドイツのSRBM:V-2と同じく、嫌がらせ兵器に過ぎませんでした。 この時、合衆国は幾つかの選択肢を日本に示しました。それはイージスMD、THAAD、PAC-3の組み合わせで、まだ未完成ながら有る程度の実現可能性を持ったものでした。 ここでこの頃に漸く姿を見せ始めた弾道弾迎撃を今の姿を交え



2018/08/24 リンク