エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「難波」ラブホ街は、いかにして「ファッションストリート」になったのか<ラブホテルの地理学> « ハーバー・ビジネス・オンライン
ラブホテル街はどこにできるのか――。 本連載では、「部屋数」や「料金」などの視点から、大阪市のラブホ... ラブホテル街はどこにできるのか――。 本連載では、「部屋数」や「料金」などの視点から、大阪市のラブホ街について考察してきた。今回は、「歴史」という切り口でラブホ街を見てみたい。舞台となるのは、大阪で、そして西日本最大のラブホ街《難波》である。性と歓楽の街は、どのような場所の系譜を経て現在に至ったのだろうか。 日本にラブホ街ができ始めるのは第二次世界大戦後のことである。しかし、性の街としての《難波》の歴史は江戸時代にさかのぼる。近世の大坂には、「大坂四花街」と呼ばれる花街があった。その1つが、現在のミナミ周辺に存在した「南地(なんち)」である。南地は、さらに細かく宗右衛門町、櫓町、坂町、九郎衛門町、難波新地という5つの花街に分かれ、「南地五花街」と総称された。このうちの九郎衛門町と難波新地が、現在ラブホテルが密集しているエリアと重なる。 1912年、難波新地で「ミナミの大火」と呼ばれる火事が
2020/04/10 リンク