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「近代日本」は、古代を憧憬しながらフィクションとして出来上がった。『皇国史観』著者、片山杜秀さんに聞く « ハーバー・ビジネス・オンライン
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「近代日本」は、古代を憧憬しながらフィクションとして出来上がった。『皇国史観』著者、片山杜秀さんに聞く « ハーバー・ビジネス・オンライン
―― 片山さんは新著『皇国史観』(文春新書)で、戦前に力を持った「皇国史観」のルーツや、それが今日... ―― 片山さんは新著『皇国史観』(文春新書)で、戦前に力を持った「皇国史観」のルーツや、それが今日まで影響を及ぼしている様を描いています。戦前の皇国史観では、日本は古代から天皇を中心とする国だったとされましたが、片山さんはこうした考え方が生まれたのはあくまで近代になってからだと指摘しています。 片山杜秀氏(以下、片山):もちろん神話以来、天皇は連綿と続いていますが、ただ続いているのと、絶対的に存在するのとでは大きな違いがあります。明治になってからの新しい仕組みとそれを正統化する史観と考えると、けっこう新しい。 江戸時代の日本は田沼意次の頃から西洋の侵略の危険に怯えるようになり、黒船来航で一気にエスカレートします。ところが国防のための対応が取りにくい。武士もいれば町人もいる。人々は身分に隔てられて連帯できない。また、空間的にも諸藩によって分断されている。それでは国家と国民の総力の結集はあり得

